香川県高松市の小児科・アレルギー科・小児循環器内科 医療法人社団裕心会 あきた小児科クリニック

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心臓病の子ども達と共に

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9.30日間だけの先生

どんな職業にも人事異動が付きものである。医師の場合も同様であるが、学校の先生のように同一県内を異動するよりも、むしろ他県への異動の方がはるかに多い。僕が在籍した小児科の場合も四国四県に関連病院を持っていたので、次は四国のどの県に異動するのかまったくわからなかった。外科系のある科では中部地方や九州地方の病院まで異動の対象になっていて、「去年まで黒部にいてやっと今年大学へ戻ったと思ったら、来年は大分に行くことになったよ。」と嘆いていた同級生もいた。人事異動の内容や決め方はそれぞれの医局によって違い、クジ引きで決める科もあれば教授や医局長が決めてしまう科もある。僕の所属した小児科の場合は基本的には教授が決めることになっていた。それぞれの希望や個人的事情も事前に文書で聞いてはくれるが、特定の病院に希望が集中することが多いので望み通りになる人は少なかった。

小児科に入局してから大学病院で2年、小児専門病院で1年勤務した僕は、その次の年に希望通り大学病院の人事からはしばらく離れて東京の循環器専門施設へ小児心臓病の勉強に行くことができた。そして、当初の予定通り東京での2年間の研修を終えた後は、平成元年4月から再び大学病院へ戻るはずであった。しかし、帰郷まで2ヶ月足らずとなったその年の2月上旬、大学の小児科医局長から電話が入った。「半田病院の女医さんが今度4月に開業することになったから、6月の定期人事異動まで半田病院の小児科が空席になってしまう。そこで、すまないけど大学に戻るのを遅らせて、4月の1ヶ月間だけ行ってくれないか。」僕の小児科では最近こそ人事異動は3月の年度末であるが、当時はまだ6月初日付けで異動することになっていた。そのため、半田病院に2ヶ月間小児科医がいなくなるので、2人の医師で1ヶ月ずつ勤務してカバーしようというのだ。そのうちの1人に、たまたま3月末に大学に戻る予定になっていた僕が選ばれた(選ばれてしまった)のだが、東京で学んだことを早く地元の大学病院で生かしたいと張り切っていた僕には迷惑な話であった。

喧騒の東京から徳島県西部の小さな病院へ、身重の妻を実家へ預けての単身赴任であった。荷物は数枚の着替えと数冊の医学書、そして白衣が2枚と聴診器のみであった。東京から帰ったばかりの僕は車も持っていなかったし、1ヶ月間だけの勤務なのでJRで運べる程度の荷物しか持っていかなかったのだ。家族連れなら入居しづらいような古い官舎が空いていたのでそこに住むことにした。近くには食堂もほとんどなかった上に、僕は中華料理(インスタントラーメン)とインド料理(レトルト入りカレー)しか作れなかったので、病院の調理婦さんが病院食のついでに3食すべて準備してくれることになった。そうした方たちの好意に報いるためにも、仕事の上で「たった1ヶ月だから適当にやっているんだ」という印象を与えないように心掛けた。つい数日前の超多忙な生活がウソのような平和な勤務であったが、風邪などの一般外来、予防接種、乳児検診など、これぞ小児科、これこそホームドクターという気持ちを思い起こさせる価値ある1ヶ月となった。

そして、5月から大学病院に勤務しはじめたのだが、次の年の人事異動でまた”予期せぬ出来事”があった。高知県の山間部にある公立病院の医師が、急な個人的事情で3月末に小児科をやめることになったというのである。6月の正式な人事異動までの2ヶ月間、また小児科医不在の関連病院ができてしまうことになる。昨年のケースと同様に2人で1か月ずつ勤務してカバーしておこうということになり、再び僕が選ばれてしまった。過疎地でもありその周辺ではたった1人の小児科医となるので経験年数の少ない研修医では不都合だし、遠方であるため年輩の医師には依頼しづらかったのだろう。ちょうど僕ぐらいの年齢が1番動かしやすかったということである。再び妻と生後7ヶ月の娘を実家に預けての単身赴任となった。前年と違って今回は自家用車でそれなりの荷物を持っていった。高速道路が南国市まで通じていたが徳島からは利用しづらく、この病院がある高知県西部までは車で4時間以上かかった。病院の事務の人も看護婦さんもみんな暖かく親切で、赴任前のモヤモヤした気分はすぐにやる気に変わった。ちょうど桜が綺麗な時期でもあり、お花見を兼ねて病院をあげての歓迎会もしてくれた。僕にとっては2年連続2回目の30日間だけの医師であったが、前回以上に「たった1ヶ月でも1ヶ月分以上の仕事をする」つもりで臨んだ。ただ、お決まりのように病院官舎は老朽化しており、部屋のドアはきちんと閉まらなかったし、窓を閉め切っていても充分に換気ができた。また、風呂場のシャワーは何もしなくても急に熱くなったり冷たくなったりした。官舎の裏は小さな山になっていたが、朝目覚めた時に布団の近くで大きなクモやムカデがおはようを言ってくれたりしたこともあった。

勤務しはじめて2週間ほど過ぎたある日、小学校に入学したばかりの玲子ちゃんという女の子が、内科の開業医でたまたま撮った肺のレントゲン写真に異常があるということで僕の外来に紹介されてきた。もう1度肺のレントゲン写真を撮ってみたが、やはり左肺の真ん中あたりに境界が不鮮明な影があった。当初は肺炎と思われたが、よく見ると軽いチアノーゼも認められた。これらの症状から肺動静脈瘻が疑われたため、コントラストエコー法や胸部CT検査を行った。その結果、肺動静脈瘻の診断で間違いないと思われたが、精密検査や手術はその病院では不可能であったため高知市内の総合病院にお願いすることになった。玲子ちゃんは診察や検査で何度か外来を訪れているうちに「アキせんせい、アキせんせい」とすっかり僕になついてくれたが、その頃にはこの病院での勤務はもうほとんど残っていなかったのである。そんな可愛い玲子ちゃんの姿に実家に残してきた自分の幼子を思い出していた。病院側もわずか1ヶ月しか勤務していないのにもかかわらず、ささやかな送別会まで開いてくれた。そうして4月末日に1ヶ月間の暖かい思い出を抱いて病院を後にしたが、その後の玲子ちゃんのことも気がかりであったし、ここでもう少し勤務していたかったなと思ったりもした。

人事異動で病院を変わる際の楽しみは、知らない街での新たな生活、転勤先の病院での医師や医療従事者(若い看護婦さんだけではない?)との出会い、そして異動のたびにリフレッシュされる診療への心構えなどである。僕はけっこう異動が多かったためか、あるいは飽きっぽい性格のためか、引越が面倒ではあったものの転勤で初めての病院へ勤務することに多くの楽しみを見い出していた。その反面、前任者や前担当医からの見えないプレッシャーもある。

「えーっ、前の先生やめられたんですか。」(別に僕がやめさせた訳じゃないですよ)
「なんだ、また先生が代わったんですね。」(僕も代わりたくはなかったんですがね)
「お母さん、先生が違うよ。前の先生は?」(もう前の先生はいませんよ)
「わたし、あの先生好きだったのに!前の先生の方がいい。」(じゃあ、前の先生がいる病院まで追いかけていったら)・・・・・

心の中でブツブツ文句を言っている自分が悲しい。こんな場合、子どもというものは正直で残酷である。こうしたつらい時期を乗り越えて、新任医師が親に信頼され子どもに好かれる医師に変わっていくまでにはしばらくの時間と我慢が必要である。一方、患者サイドからみれば医師がコロコロと代わってしまうのは不安であり、治療面からいっても不利であろう。信頼関係のできた1人の医師にずっと診てもらいたいと思うのは当然のことである。

高知での30日間の勤務を終えて徳島に帰った僕を迎えてくれたのは、父の顔をすっかり忘れてしまった生後8ヶ月の娘の泣き顔であった。

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