香川県高松市の小児科・アレルギー科・小児循環器内科 医療法人社団裕心会 あきた小児科クリニック

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心臓病の子ども達と共に

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7.1年半で3時間だけ親子

卒業後の2年間を大学病院で過ごした僕は、3年目にやっと念願の一般病院へ研修に出ることができた。けっして大学病院が嫌だったという訳ではないが、大学では経験できる患者が特定の病気に片寄っている上、時間的にも余裕がなく種々の制約があった。そのため、ある程度生活も自由で一般の小児疾患や新生児も診療できる市中病院への想いが強かった。それに加えて、同級生たちが既に大学を出て研修病院で勤務しているという現実も、一般病院を希望する気持ちに拍車をかけていた。

結局、同級生たちから1年遅れで小児専門病院へ出向することになったが、そこでは予想通り重症新生児と一般感染症(肺炎、気管支炎や腸炎、髄膜炎、はしか、水ぼうそうなど)に囲まれた毎日であった。翌年からは東京へ心臓病の研修に出してもらえることがほぼ決まっていたので、気管内挿管や静脈切開、新生児医療の手技などの体得、一般小児感染症の診療経験など、この1年間でやっておくべきこと、勉強しておかなければならないことが非常に多かった。こうした経験や知識に乏しく、焦りと不安に悩んでいた僕は、できるだけ病院に泊まり込むようにして先輩医師の処置につかせてもらい、少しでも早く慣れようともがいていた。それでもなかなか思うような成果は上がらず、勤務当初は落ち込む日々が続いていた。

その小児病院には小児科(小児内科)の他、外科、心臓血管外科、整形外科、脳外科、放射線科、眼科、麻酔科と多くの科があり、それぞれ優秀な専門医が揃っていた。その中でも、麻酔科の高丸先生には本当にお世話になった。もともとは小児科の医師で小児心臓病を専門としていたが、思うところがあって麻酔科に転向され、当時は麻酔科医として勤務されていた。僕がこの病院に赴任してきてお会いしたのが初対面であったが、僕が小児心臓病を志しているということもあり、とてもよく面倒を見ていただいた。病棟での気管内挿管、救急車での重症新生児の搬送入院や処置など、高丸先生が当番の時は「今、時間空いてる?」と声をかけてくれてご一緒させてもらった。僕にとっては高丸先生のそばにいること自体が勉強であり、楽しみでもあった。

そんな充実した日々だったので、この病院に来てからは実家のある徳島へ帰る時間も惜しかった。車をとばすと2時間足らずで戻れるのだが、結局年末まで1度も帰らなかった。それでも一人っ子の僕が戻らないと夫婦だけの寂しい正月となってしまうので、子どもとしての義理だけは果たそうと12月31日から2日間だけ休みをもらうことにした。そして、大晦日の夜10時過ぎ、7ヶ月ぶりに徳島の実家へ戻ったのだった。久しぶりに両親と顔を合わせ、ビールを飲みながら近況などを報告し、午前1時頃には眠りについた。

しかし次の朝、元旦の午前6時半頃、実家の電話のベルが鳴った。小児病院の高丸先生からのコールであった。なんでもチアノーゼと心雑音がある新生児の入院依頼があったとのことだった。「僕が救急車で迎えに行っておくから、よかったら戻ってきて見てみるかい?」高丸先生は屈託のない元気な声でそう言われた。『よかったら戻ってきて見てみるかい?』の言外に、『今の君なら当然病院に帰ってきて、当然主治医になるだろうね』という気持ちがヒシヒシと感じられた。卒業後まだ3年目の僕にとってはいい機会であり、ありがたい配慮であった。別の見方をすれば、厳しさや冷たさを感じる人もいるかもしれない。しかし、それまでの約半年間のお付き合いから、僕には高丸先生の本心がよくわかっていた。そして、これが小児科であり新生児医療であり、小児心臓病を志す医師の姿勢なのだと、僕に教えてくれようとしている気がしてうれしかった。「病院から呼ばれたから行ってくる」短い言葉を残して、僕は午前7時過ぎに実家を出て行った。もちろん両親も多くを語らなかったが、きっと寂しかったことだろう。その年の4月末に僕は香川から東京へ旅立ったので、前後1年半の親子の語らいは結局この3時間足らずのみとなってしまった。

ところで、この時の新生児は大動脈縮窄複合という重症先天性心疾患であり、点滴や投薬、呼吸管理などで全身状態の安定が得られた後に手術を行い、無事退院していった。

このように、6月に赴任して翌年4月末に退職するまで、僕はあらゆる面で高丸先生のお世話になった。先生の優れた技術や知識を少しでも盗もうと心掛け続けた11ヶ月間でもあった。東京でしばらく麻酔の勉強された経験がある高丸先生は、全国の医療レベルと四国のレベルとの違いをいつも嘆いておられた。僕が香川から東京へ出発する日、先生がボソッと言われた次の言葉が今でも印象に残っている。「一旦東京へ行ったら、四国へなど帰ってこずにずっと向こうで頑張りなさい。四国の一流でいるより全国の超一流をめざしなさい」高丸先生とのその約束は果たされることなく、僕は2年後に徳島へ戻ってくることになってしまった。現在は奈良でいらっしゃる高丸先生とお会いできる機会があれば、どんな言葉が返ってくるだろうか。それは楽しみでもあり、心配でもある。

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