香川県高松市の小児科・アレルギー科・小児循環器内科 医療法人社団裕心会 あきた小児科クリニック

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心臓病の子ども達と共に

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3.ポケットベルと理想の医師像

医師に緊急連絡はつきものである。現在なら当然携帯電話であるが、数年前まではポケットベル全盛時代であった。ところで、僕がポケットベルを持つようになったのは医師になって3年目に初めて大学から外の小児病院へ研修に出た時であった。その病院にも病院内専用のポケットベルがあって勤務している医師は全員持たされていたが、院外でも使える一般のポケットベルは小児科の中では誰も使っていなかった。というのも、病院の敷地内に官舎があってほとんどの医師がそこに住んでいたので、病院内専用のポケットベルだけで充分であったからだ。しかし、医師が官舎にいない場合にはどうしようもなかった。今から考えると時代遅れのように思えるし、入院中の患者サイドから見れば、いくら当直医がいるとはいえ、担当医と連絡が取れなくなる危険性があるというのは不安でもあるし無責任とも思えるであろう。そういう時代にその病院の小児科医として初めてポケットベルを持つことになった背景には、ある1つのエピソードがある。

その時からさかのぼること数カ月、大学を卒業して2年目の僕はまだ大学病院で研修中であった。たまたま生後6ヶ月になる尚美ちゃんという女の子を受け持ったのだが、尚美ちゃんは体重があまり増えないため、精密検査の目的で入院してきていた。いくつかの病院でも検査をしたものの診断はついていなかった。大学病院に入院後もいろいろと検査を進めた結果、可能性が高い病気が見つかったが、まだ確定診断には至っていなかった。

その夜は大学を去ることになった先輩医師の送別会であった。みんなでビアガーデンに行き、いい気分で病院に戻ってきたのが午後10時頃であった。もちろん多くの医師は家路についていたが、われわれ研修医はそんな時でも病院に戻り、小児科病棟の看護師詰所(今で言うナースステーション)をのぞいて受け持ち患児に変わりないことを確認してから帰るのが常であった。僕が詰所に入っていくと、3年先輩の当直医が暗い疲れきった顔をして座っていた。「尚美ちゃんの呼吸が急におかしくなったんで、さっきから人工呼吸器を使ってる。レントゲンを撮ってみたら肺が真っ白になってたよ。肺炎みたいだけど、それにしては悪くなるのがあまりにも早すぎるね」大部屋に入っていた尚美ちゃんは既に個室に移されており、人工呼吸器の音だけがうるさく響いていた。

その夜から、僕は尚美ちゃんに付きっきりとなった。保健所の乳児検診の当番なども代わってもらって、尚美ちゃんの治療に徹した。人工呼吸器を使っている患児を受け持つことはそれまでほとんどなかったので、細かいことは勉強しながら、あるいは指導医に相談しながらやっていった。症状やそれまでの検査結果から、尚美ちゃんは一種の免疫不全症と考えられた。様々な治療にもかかわらず肺炎をはじめとする感染は悪化する一方で、血圧や脈拍も少しずつ落ちてきて生命的に危険な状態になっているのは誰の目にも明かであった。不眠不休も3日目に入ると非常につらかったが弱音は吐けなかった。こうした場合、主治医が諦めたら終わりなのである。また、送別会という医局の公式行事ではあったものの、主治医である自分が不在の間に病状が急変したことへのこだわりも僕の中にあった。そんなとき一緒に頑張ってくれていた尚美ちゃんのご両親からこんな言葉をいただいた。「先生、尚美よりも先生の身体の方が心配です。ちょっと休んできてください。」ご両親が僕のことを心底心配してくれての言葉であるのはわかっていたが、尚美ちゃんの病状や今後の見通しをおおよそ理解されていたご両親の言葉であっただけに、その心情を思うとかえって辛かった。尚美ちゃんはそれから数日後に亡くなられたが、尚美ちゃんのご両親のあの言葉は僕への叱咤激励として今でも僕の中で生き続けている。そして、何かあった時にいつでも連絡がつくことの必要性を痛感した僕は、ポケットベルが普及しはじめると真っ先に飛びついた次第であった。

ところで、医師になった当時の僕には自分の理想とする医師像があった。それは片時も患者サイドから離れずに付き添っている医師である。卒業して2年間の大学病院時代はその理想像を追うかのごとく、深夜から早朝にかけての数時間を除いてはほとんどの時間を病院で過ごした。あるいは、病院に住んでいたといった方が正しいかもしれない。もちろん知識も乏しく技術も未熟な研修医としては当然で、医師なら誰でも彼でもこういう時代を過ごしてきているはずである。大学の医局の先輩医師たちもそれぞれの研究に忙しく、やはり帰宅は早くても午後10時過ぎという人が多かった。夕食は大半の医師が毎晩出前を取っていたし、自宅に食べに帰ってすぐにまた病院に出てくる先輩もいた。ただし、患者さんの診療のためだけに遅くまで病院にいるのはほとんどが研修医であり、多くの先輩医師は自分の研究や論文の仕事に没頭していた。

しかし、3年目に一般病院へ研修に出た時に見たものは多少違う世界であった。それは帰宅時間の早さである。患者さんに問題がなければ、それこそ「5時チン」であった。大学病院での遅い帰宅時間が当たり前と思っていた僕には違和感すら感じられた。もちろん僕はその病院でも1番の若手であり、最も未経験な医師であった。未熟児や先天性心疾患の新生児を中心に研修していたので必然的に重症児も多く、官舎が近いとはいっても病院から離れるのは何となく不安であった。そこで、前年の尚美ちゃんのこともあり、急用があってもすぐに連絡してもらえるようにと思ってポケットベルを持つことにしたのである。ある先輩医師は「おまえの考えがわからん。そんなもの持っていると自由がなくなるぞ」と忠告してくれたが、いつも患者サイドから離れずに付いているのが良い医師と思っていた僕には、その先輩医師の考え方こそがよくわからなかった。ところが、医師としてある程度の経験を積んでくると、症状や検査結果からおおよその経過や予後の察しがつくのでそれに従って行動できる。だから、重症児がいても家族で出かけたり同僚と飲みにいったりする先輩医師もいた。それでいて、大学にいる研究医にも負けないような優秀な研究や論文を仕上げる医師も多かった。要するに必要な時には何日も病院に泊まり込んででも仕事をするが、患者さんたちが落ち着いている時にはゆっくりと自分の時間を過ごすというだけのことであるが、独身で医師としても未熟な当時の僕にはそのメリハリが効かなかったのだ。

最近は、僕の考え方も多少変わってきた。片時も患者サイドから離れずにベッタリと付いていることだけが理想的な医師像とは思わなくなった。もちろん重症児や予断を許さない状況の場合にはそうするのが当たり前であるが、患者さんが落ち着いている時には医師も家庭人に還るべきだと思う。そう考えるようになったのは、僕が患者の状態からある程度の見通しが立てられるようになってきたためかもしれない。また、僕にも自分が守るべき家族ができたからかもしれない。初めて一般病院に出て感じた「帰宅が早い」医師への反発や不満は今はなく、むしろその医師たちの真意が逆によく理解できるようになった。医師を必要としているのは患児やそのご家族だけではなく、医師の家族もまた同様である。普通に帰宅できる時には普通に帰宅して家族の一員(夫あるいは父親)としての自分に戻ることが、病院での診療に対する新たなエネルギーにもなるのである。手前味噌かもしれないが、とくに小児科医は家庭人としての部分や家族とのよい関係があってこそ、より良い小児医療ができるのだと思う。自分の育児、子どもとの触れ合い、親としての心境などを実際に体験して、初めて真の小児医療ができるような気がする。病気だけ治せばよい、身体だけ診ておけばよい、患者は黙ってすべてを医師に任せておけばよいという古い時代はもう終わったのである。

僕も今、新たな「理想の医師像」を模索している最中である。

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