香川県高松市の小児科・アレルギー科・小児循環器内科 医療法人社団裕心会 あきた小児科クリニック

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心臓病の子ども達と共に

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2.二回目のむちうち症と1人当直の夜

多くの職場では、会社全体であるいは部署毎に社内行事がある。以前勤めていた病院でも、初夏に運動会、真夏に高松祭りの総おどり、秋には日帰りや1泊2日の旅行、冬にはスキー旅行などの行事が催されていた。病院職員は医師よりも看護師や検査、事務職員の方がはるかに多いので、スキー旅行以外はとても華やかであり賑やかでもある。では、大学病院の医局行事にはどんなものがあるのだろうか。まず新任看護師が入ってくる4月初旬に親睦を兼ねて花見。5月か6月、新入医局員歓迎のために1泊2日の医局旅行。7月、小児科病棟の七夕祭り。8月、ビアパーティと糖尿病児のキャンプ。12月、忘年会と小児科病棟のクリスマス会。1月、新年会。3月または5月、転勤する医師の送別会。以上が僕の在籍していた当時の主な医局行事(一部は病棟行事)である。ただし、花見やビアパーティは次第にやらなくなってしまったし、新年会もなかった。反対に、外科系では教授杯とか銘打ったゴルフコンペをやるところも多いし、毎年海水浴に行く医局もある。結局は教授の趣味や嗜好に左右されてしまうのが現実であった。

こうした七夕祭りやクリスマス会、忘年会などでの出し物は新入医局員の大きな仕事の一つである。僕も入局早々の七夕祭りでは当時大ブレイクしていたアルフィーの歌まね振りまねをやらされたし、アンパンマンのお面を付けての大格闘も経験した。忘年会では片栗粉を頭にまぶしてお爺さんに変装して、日本昔ばなしの劇をした。人使いの荒い大学病院だけどふだんの病棟での仕事の方がまだマシだよー、とみんなで叫んだものだった。

一方、医局旅行もいわゆる楽しい観光旅行とは少し趣が違った。土曜日の外来が終わってから(まだ当時は国立や公立病院でも土曜日の午前中は毎週外来診療をするのが当たり前だった)、自家用車に相乗りして夕方に現地へ到着。そして風呂に入って宴会をして、あとはカラオケ組、おしゃべり組、麻雀組(これが最も多かった)などに別れて過ごすのである。次の日、朝食を済ませたら早々にまた相乗りで大学まで帰って、若手は病棟回診、上級医は実験や研究と、昼頃にはもういつもの生活パターンに戻っていくのであった。

僕が入局した年の医局旅行の目的地は香川県の塩江温泉であった。まだ高速道路がついていない時だったので、徳島からは車で1時間半ほどかかった。もちろん初めての医局旅行だったので、まあこんなものかと、少し楽しく、ちょっと緊張の1泊2日を過ごした。帰りはまた車に相乗りであるが、ぼくはたまたま医局長の高級車に乗ることになってしまった。フェアレディZのツーシータ(2人乗り)なので、無口な医局長とたった2人ぼっち。若手医師の車に乗れた連中を羨ましく思いながら、話題を探しつつ帰路の1時間を過ごした。「大学までもう少しだな」と思っていた時、車に大きな衝撃を受けた。信号待ちをしていたフェアレディZの後ろから、わき見運転をしていた20歳前の若者の車が突っ込んだのであった。12歳の冬にむち打ち症になった経験者の僕はすぐに、「あ、またやっちまったな」と思った。Zの後部はペシャンコになっていたので、後からやってきた同僚の車で大学病院の救急室へ向かった。診断はやはりむち打ち症であった。

その日から1週間の出勤停止(自宅安静)で、病棟勤務に戻ったのはそれから2週間後であった。その間、同級生たちは多くの入院患児を受け持ち、実りある研修を続けていた。研修早々のアクシデントだったので少し落ち込んだが、それまでに何度もどん底を経験したことがあったので、今度は幸い立ち直りも早かった。ただし、2度のむち打ち症のためか、あるいは極端な視力の左右差のためか、運転や読書が長引いたり、パソコンに向かう時間が長くなるとすぐに頭痛がするようになってしまった。それ以来、どこの病院に行っても僕の机の引き出しには鎮痛薬がドッサリ入っている。

さて、波乱万丈で始まった僕の新入医局員時代で、1番印象に残っているのは初めて1人で当直をした夜である。病院には当直がつきもので、大学病院では各科に1人ずつ当直医がいた。入局した年の9月までは先輩医師と一緒に泊まり込んで、夜間の救急外来や入院中の患児の診察や処置の指導をしてもらうのだが、1つの当直室に2人で泊まることが多いので、中にはやりづらい先輩医師もいた(もちろん女医当直室は別にある)。ところが、いつまでも先輩医師と一緒では頼ってしまって実力がつかないので、10月からは新卒医師2人組の当直を当てられる。2人組当直をする秋の頃は学会シーズンのため多くの先輩医師が夜11時頃まで残っていて何があっても安心だし、同級生2人なので合宿みたいな雰囲気で面白かった。そのトレーニングの後、年末からは晴れて1人当直が始まるのであるが、僕の医局では年末年始は必ず新入医局員が1日ずつ当直をすることになっていた。そしてくじ引きの結果、僕はなんと元日の当直が当たってしまったのである。親切な先輩医師は「毎年12月31日と1月2日は忙しいけど、元日はみんな初詣とかに行くから外来はたいてい暇なんだよ」と慰めてくれた。しかし、「若い先生が当直している時や、学会や年末年始で医局に人がいない時ほど何かが起こるものなんだよ」と脅すことも忘れなかった。

そしていよいよ元日の朝が来た。白衣の左ポケットには小児科当直医マニュアル、右ポケットには小児薬用量の豆本、胸ポケットには数人の先輩医師の自宅電話番号のメモ、以上の小児科当直初心者の三種の神器もバッチリ揃えた。あとは自分の運と不運、度胸と不安との闘いである。幸いなことに、救急外来には発熱や喘息発作、血友病の患児などが数人来られたがいずれも軽症であり、入院はもちろんのこと、心配していたような重症患児はいなかった。しかし、外来以上に僕が気になっていたのは病棟の入院患児であった。実はこの頃、病棟には総動脈幹症という重症の心臓病の子どもがいた。心不全があり正月明けには手術の予定であったが、全身状態は比較的安定していた。しかし、今はお正月なのである。もし何かあっても、循環器グループの先生に連絡がつく保証はないし、連絡が取れて来てくれるとしても普段以上に時間がかかる。正月休み前に「彼の状態は落ち着いているみたいだし、おまけに君は循環器グループ志望だからちょっとぐらいのことなら大丈夫だろう」と、いつもの親切な(?)先輩医師は言ってくれたが、循環器志望と医師としての実力は決して比例するものではないのだ。

夜11時過ぎ、小児科当直室の電話が鳴った。総動脈幹症の患児の尿量が少ない上に、泣いて暴れているというのだ。病棟へ降りてみると、確かに今日の尿量は昨日までよりも少ないし、肝臓も少し腫れているように思えた。心不全が進行すれば呼吸状態も悪くなり、人工呼吸器を付けないといけなくなるだろう。緊急手術もありえるかもしれない。そうなると僕の手にはおえない。「今日は何となく不機嫌なんです」病院が正月休み体制に入っているため、不安を募らせているお母さんが訴えた。そのことが、重症患児への自信がない僕の不安を一層かき立てるのだった。「胸部レントゲン写真を撮って、それから血液ガスを調べて・・・利尿剤も増やして・・・鎮静剤かなんかで少し眠らせたほうがいいかも・・・」頭の中で必死にこれからの検査と処置のプランを練る。本当はすぐにマニュアルで確認したいところであったが、お母さんの目の前でポケットの中のマニュアルを取り出して読むこともできない。「ちょっと指示を出してきますので・・・」お母さんにそう言ってナースステーションに戻り、マニュアルのページをめくる。自分の考えに間違いがないことに安堵しながら指示を出す。レントゲン写真では心拡大や肺うっ血は進行しておらず、血液ガスでも二酸化炭素は溜まっていなかったため、利尿剤を増量し、鎮静剤を使って眠らせるだけでよさそうだった。『これなら何とか上の先生を呼ばずに済みそうだな』と思った。

そして深夜の3時過ぎ、今度は患者さんから電話が入った。「喘息発作が起きているので診てください」とのことであった。しばらくして救急外来から連絡があったので行ってみると、1歳半の男の子で肩呼吸や陥没呼吸が見られていた。喘息発作としても比較的重い方であり、吸入や点滴が必要と思われた。入院を勧めたが、正月なので入院したくないとの両親の強い希望で救急外来で吸入と点滴をすることになった。・・・・・しかし、点滴が入らない!・・・・・子どもはポチャポチャとよく太っている上に大暴れしている。何回試みただろうか、この時ばかりは自分の腕と肉付きのいい子どもの腕を恨んだ。救急室の外で両親が心配してウロウロし始めたのはわかっていたが、点滴というものは焦れば焦るほど入らないものである。そんな時、横についてくれていた救急病棟のベテランの看護師が、「私がやってみましょうか?」と申し出てくれた。一般病院では点滴や注射は医師の指示のもとに看護師がやってくれることが多いが、大学病院ではすべて医師がやることになっていた。管理の厳しい大学病院で看護師がこういう申し出をしてくれるのは極めて稀なことであったが、この看護師の姪御さんが以前に川崎病で入院したことがあり、その時の主治医が偶然にも僕であった。おそらくそんな関係もあり、僕を、そしてそれ以上に子どもの状態を見かねての言葉であったに違いない。ポチャポチャの腕の中に埋もれて見えないはずの血管に見事に1回で点滴の針を入れて、主演女優はすぐに助演女優の立場に戻っていってくれた。そして、真冬なのに汗だくの医師は「この点滴が終わって調子が良かったら、今日はお家に帰れると思います」と説明したものだった。機転の利く上手な看護師のおかげで子どもの呼吸状態も改善し、ご両親の希望通り自宅へと戻っていかれた。この看護師は、僕が2度目に大学病院へ戻った時には心臓外科病棟へ異動されていて、相変わらず見事な仕事振りを見せてくれていた。久しぶりに会った僕の成長を何よりも喜んでくれたが、それからまもなくまた救急病棟へ呼び戻されてしまった。今でも大学病院で元気に活躍されていることだろう。

僕の初めての1人当直はこうして一応無事に終わった。1人で当直をしたという満足感よりも冷や汗の思い出の方が強烈ではあるが、それはまた、医師1年目の僕に人の優しさと暖かさを教えてくれた夜でもあった。

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