香川県高松市の小児科・アレルギー科・小児循環器内科 医療法人社団裕心会 あきた小児科クリニック

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心臓病の子ども達と共に

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1.初めての気管内挿管

今は制度が変わってしまったが、僕が大学を卒業した当時は、卒業までに自分が希望する科を決めて卒業後にその科に入る場合が多かった。僕は出身大学の小児科に入ったが、医師国家試験に合格して晴れて医師になっても医師らしいことはまだ何もできない。頭の中には講義や実習、卒業試験や国家試験などで鍛えられたそれなりの知識が入っていても、それがバラバラで実践では使いものにはならない。おまけに、卒業したての医師にとって現場で一番必要なことは、そうした国家試験的な知識ではなく、指導医などの意見を聞き入れようとする柔軟な姿勢、看護師さんや検査技師さんたちとの連携をこわさない人間性や態度、そして採血や点滴などの処置の上手さである。特に小児科の場合、入院しているお母さん方の研修医に対する評価は、初めのうちはイケメン度や話し易さが話題になるものの、最終的にはこうした処置のうまさで決まるようである。どのお母さんたちも1度で点滴を入れて欲しいと思うのは当然のことなのだが、学生時代の実習で同級生相手に1回やったきりなので、始めから点滴の上手な研修医はめったにいない。それでも卒業して6ヶ月も経つと、やたらポチャポチャと栄養の良すぎる赤ちゃんを除けば、点滴や採血はほとんど問題なくできるようになる。そして大学での1年間の初期研修を終えた後、2年目に一般病院(研修病院)へ出て腕を磨くというのが当時のシステムであった。というのも、大学病院の場合は特殊な病気や慢性の病気が多く、感染症などの一般的な病気が入院してくることは非常に少ない上、僕のいた大学病院ではその頃はまだ新生児の研修はあまりできない状態だった。そのため、いろいろな病院を1、2年ごとにローテーションして、みんなが平等に総合的な診療能力を身に付けられるようにしていた。

僕の同期生は4人いて、他の3人は予定通り2年目にそれぞれ大きな市中病院へ散っていった。ところが僕は「君は確か循環器グループに入って先天性心疾患をやりたいと言ってたね。次の人事異動では循環器の先生が大学には戻ってこないから人手が足りないので、悪いけど来年は大学に残ってくれ」という医局長の一言で大学に居残りとなってしまった。もちろん、循環器の勉強という点ではありがたいが、まだまだ一般的な病気をあまり見ていないし、新生児もよくわからない。第一、まだ救命救急処置に必要な気管内挿管もしたことがなかった。何かの会合で、一般病院へ研修に出て数カ月経った同期生に合った時、「俺はもう3回も挿管できたぞ」という話を聞いてとても焦った。どこの病院でも夜間の当直業務というものがあるが、たまに超重症患者に当たって、心臓マッサージや人工呼吸などの呼吸管理が必要になることがある。気管内チューブを気管内に入れること、すなわち気管内挿管はけっこう難しくコツがいる。一旦できるようになると後は簡単であるが、僕は2年間も大学にいたのでまだ経験がなかったのだ。気管内挿管ができるか否か、これが救急患者をまかせてもらえるかどうか、枕を高くして当直業務に就けるかどうかのキーポイントになる。だから、同期生に比べて一般病院に出るのが遅れたために、気管内挿管を始めとする救急処置の基本技術の修得ができていないことに対する不安と焦りは非常に強いものであった。

そして3年目の6月、やっと一般病院へ研修に出ることが決まった。その病院には新生児医療や循環器疾患を含めた小児科領域の各分野の専門医がいて、研修病院としてはみんなの憧れの的であった。勤務開始の初日、さっそく呼吸障害の新生児で挿管の機会があった。ベテランの医師に横で指導してもらいながら、喉頭鏡を使って声帯周辺を確認し、声帯のすき間(声門)へ気管内チューブを入れるだけなのだが、どれが声帯なのかどこが声門なのか全然わからない!できない!何度か試みるうちに、赤ちゃんの全身色がだんだん悪くなってきた。「代わろう!」赤ちゃんにも悪いことをしたが、初回の挿管は大失敗であった。それから一週間ほどして、ダウン症と房室中隔欠損の赤ちゃんが運ばれてきた。呼吸数が多く、陥没呼吸もあり、レントゲン写真では心臓が拡大していて、肺も白くなっていた。「しばらくは呼吸管理が必要だろう」指導医の意見で挿管することになり、僕が主治医になったので、まずはやらせてもらえた。今度はちゃんと気管内にチューブが入ったと思ったが、聴診器を当てた指導医は「ダメだね。これは食道挿管だよ!」また失敗・・・チューブが気管ではなく食道に入っていたのだ。こうなってくると、周りにいるベテランの看護師さんたちの眼は厳しい(厳しく感じてしまう?)。”やっぱりね””まだ無理なのよ”という雰囲気を感じ、挫折感と自信喪失だけが大きくなっていった。

そうして7月が来た。この病院に赴任して1ヶ月が過ぎ、悠子ちゃんと名付けられた呼吸障害の未熟児は動脈管開存の合併もあり、まだ呼吸管理をしていた。僕が当直で泊まり込んでいた午前4時頃、当直室の電話がなった。「先生、悠子ちゃんの気管内チューブが抜けてしまっているようなんです。色が悪くなってます。」受話器から若い看護師さんのあわてた声が流れてきた。僕は大急ぎで新生児室に向かいながら、頭の中はパニックになっていた。「もし挿管が抜けていたら、今の悠子ちゃんの状態なら必ず再挿管しないといけない。でも入れる自信もないし、また入らないとカッコ悪いし、上の先生を呼ぶにも時間が時間だし・・・・・どうかチューブが抜けていませんように」そう祈りながら新生児室に入って診察してみると、明らかに気管内チューブは抜けているようだった。悠子ちゃんの顔色はもうあまり時間的余裕がないことを訴えていて、僕を呼んだ深夜勤務の若い看護師さんも心配そうに悠子ちゃんと僕を見ていた。「挿管します!」不思議と覚悟ができ、この時はなぜか無心あった。喉頭鏡を受け取って、喉頭展開・・・入れなければいけないという気持ちで緊張した目に、悠子ちゃんの声帯がはっきり見えた。右手を震わせながら気管内チューブを進めたところ、「先生、入っています!」聴診器で呼吸音を確認した若い看護師さんがうれしそうに叫んだ。そして、悠子ちゃんの顔色はみるみるうちに回復していった。挿管できた喜びと安堵感で、僕の頭の中は真っ白になっていた。頼る先輩医師がいないという責任のかかった状況が、僕に力をくれたのだと思った。そのまま眠らずに朝を迎えたが、新生児室に射し込んだ朝日の美しさは、自分のことのように喜んでくれた若い看護師さんの笑顔とともに、20数年経った今でもしっかりと覚えている。あの日が医師としての自分の、本当のスタートラインであったと思う。

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